サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

Googleとボルヘス的幻想

 Google Mapの考案者/開発者はニール・スティーヴンスンサイバーパンクSFにinspireされたそうだが、そのまた根底にボルヘスの『アレフ』があるという。
その一部を引用しておこうか。主人公にとってはた迷惑な詩人がある日、泣きつくとこでアレフがつぶやかれる。

アレフ?」 とわたしは言った。
「そうです。あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも融け合うこともなく、それぞれの形状をはっきり保ちながら凝集している場所です。」

 すべてを含み、すべてを写し込む「アレフ」なる幻想は、まことに現代のデジタル化願望とGoogleのスタンスに照応しているようだ。アレフ ℵ は狂える数学者ゲオルグカントールがその『超限数論』で定義した無限のタイプを表す符号だ。ヘブライ語アルファベットの最初の文字であることは言うまでもあるまい。アレフ・ゼロから始まる無限の階梯だ。
 アレフを見ているヒトはアレフの中にいるのであろうか?
 GoogleMapが完成するのはその中にGoogleMapを見るヒトを覗くことが可視化された時ではないだろうか?
 際限のないデータの増殖の未来がGoogleの統治する世界だ。それはロイスの無限につながる。
 余計なことを追記すれば、Google Booksは『バベルの図書館』に似ているといえなくもない。かの無限の図書館の住民は有意味な書籍を探しあぐねているのだが、あいにくとそんな書籍の存在がルベーグ積分の可測の意味で「ゼロ」なのだけれども。
 有意味な何百万冊という書籍からその探求する言葉を探し出すGoogle Booksはボルヘス的な不条理と相反するのではないかという声もあろう。しかし、検索結果が探求者の望みをその文脈でピッタリと捉えているのかどうかとなると、そうではないであろう。むしろ、無数の有意味さビッグバンのなかに探求すべき情報が埋もれてゆくのをムザムザと見過ごすだけだ。

 この短いスキットで届けておきたいメッセージは冒頭の地図に関するボルヘスのビジョンだ。同じように短い短編『学問の厳密さについて』ではこうなる。

 かの国では、地図学は完璧の極限に達していて、...地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった。地図学に熱心な者は別であるが後代の人びとは、この広大な地図を無用の長物と判断して、無慈悲にも、火輪と厳寒の手にゆだねてしまった。西方の砂漠には、ずたずたに裂けた地図の残骸が今も残っているが、そこに住むものは獣と乞食、国じゅうを探っても在るのは地図学の遺物だけだという。 −−スアレスミランダ『賢人の旅』(レリダ、一六五八年刊)の第四部、四十五章より。

 等身大の地図の遺物がその国の存在した唯一の証(あかし)となる。そんなボルヘスの夢物語は現代人のデジタル狂騒の結末となりはせぬかというのが自分のふつつかな幻想でもある。
 かの小説『アレフ』の萎えるような結末も、また、すべてを手に入れた錯覚のもたらす陥穽の結果であったとしか思えない。

創造者 (岩波文庫)

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エル・アレフ (平凡社ライブラリー)

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